
せっかく記憶の底に沈めてしまおうとしていたのに、某所でダービーの結果を話題として振られてしまい…。
で、まあ、由無し事を考えてみたわけですが。
確かにあの結果は無様としか言いようがないでしょう。特に3失点目以降の流れは、お金を取ってみせるような内容では決してありませんでした。
営業的に見ても最悪の結果だったといえるでしょう。
セレッソのホームゲームにおける平均観客動員は17,000人ほど。ただ、平日のゲームなど条件が悪いときにはもっと動員は下がるわけで、それを考えると「固定客」と呼べる数はもっと少ないはず。つまり、35,000人程入った日曜日はその多くが「見込み客」だったとも考えられるのに、その目の前で「あんな」試合をしてしまったわけです。あれでは、リピーターとして戻ってくる率はかなり低いと言わざるを得ますまい。
9月以降、長居スタジアムが使用できるかどうか不透明な状況で、それまでに何とか動員を稼いでおかなくてはいけないクラブ側としては、頭を抱えたくもなるでしょう。
ただ、この屈辱的敗戦が現場の人事(というか、マスコミで報道されている監督の進退問題ですな)に即影響を及ぼすものか、と問われるとちょっと首肯しかねます。
「屈辱的」と一口に言うものの、この場合2つの切り口から分けて見る必要があるのではないかと思うのです。
まずはガンバという「ライバル」に負けたという屈辱。
ぶっちゃけた話、欧州各国リーグのダービーマッチに見られるような「因縁」めいたものや、競技は違いますが、プロ野球のタイガースとジャイアンツの間に存在するお互いの意地のようなものを、セレッソとガンバの間に感じることができない訳なんです、個人的には。
(タイガースとジャイアンツの間の確執も、実は1960年代以降ようやく顕著になってきたという、結構説得力のある説もあります)
もちろん大阪人の常として、面白そうなもの(ダービー前の盛り上げとかですね)には乗っかります。乗っかるからには楽しまねば損なので、とことん乗っかります。だから、ダービー前中後の煽り合いには、(積極的には関わりませんが)頭に来たり喝采を送ったりもします。
でも、どうしても頭のどこかで、そんな自分自身を冷静に見ている。これは私個人の資質(というか性格)にもよるのでしょうが、「ライバル心」とか「意地」とかが生じるには、まだまだ時間が経過していないからというのもあながちハズレているとは言えないのではないでしょうか。
だから、「ガンバに負けたこと」を必要以上にあげつらうのには違和感を感じざるを得ない訳なんです。
もう一つは1-6というスコアで負けたという「屈辱」。
サッカー素人の私でも、このスコアは酷いスコアだということはわかります。試合終了後凄まじいブーイングが飛んでいましたが当然のことでしょう。開幕戦での3失点分も日曜日のブーイングに含まれていたのかも知れませんが。
確かに昨シーズンのことを思い起こせばその落差に驚きもし、怒りも湧いてきます。でも、まだ34分の2が過ぎたばかり。というか、試合を観る側が知らず知らずの内に、無様な試合をすることを一切許さないような「強者のメンタリティ」を身につけてしまっているように思えてならんのです。
もちろん、「どうせワシら、弱いんやし」なんて卑屈になる必要は全然ありませんが、誤解を恐れずに書けば、無様な1試合(2試合かも?名古屋戦は観ていないのでわかりません)を見せられたからといって、パニックに陥るほど(本当は私も含めパニックに陥っているのはごく一部かも知れませんが)、果たしてセレッソは強いチームなのでしょうか。強くあって欲しいと願うのは当然のことですし、私もそう願っています。だからといって現状と願望との差に目をやることなく、
あまりに性急に事を運んでも、将来に禍根を残すのではないかと思うのです。
ここからは、かつては組織の一員であった私の経験談になってしまいますが、組織のトップをすげ替えるというのは最後の手段です。組織そのものをそっくり入れ替えるのでない限り、つまり、組織の構成員の大部分に変更がない場合、思ったほど効果は上がらない場合が多いです。また、組織が混乱状況にある場合は逆効果になることも多々あります。
ただ、効果を上げる数少ないケースがあります。それはトップが組織のモチベーションを奪っているとき。まあ、当たり前の話ですけどね。
今のセレッソはそこまで至っていないと思うのですが…。
以上、サッカー素人が思いつくままに書き殴ってみるテストでした。