80年ぶり、および初
今となっては遠い昔、私がまだ現役の短距離選手だった頃、日本人がトラック種目、特に短距離種目で世界と互角に戦うことは無理だと一般には考えられていました。
実際、当時私や私のチームメイト(一応私は個人種目とリレーチームの選手を兼ねていました)は、当時全盛期にあったカール・ルイスやアメリカのリレーチームに憧れることはあっても、日本のトップスプリンターの名前を知ることはありませんでした。
もちろん、同世代の競技者なら知っていて当たり前だったのでしょうけれど、大阪の片隅にある学校の弱小陸上部の面々にとっては、名前を知っている日本人競技者といえば、マスコミに取り上げられることの多いマラソン選手がせいぜい。
自分たちの競技に対してはそれなりに真剣でしたが、学生生活を陸上競技に賭けているわけではない、並、および並以下のレベルの私たちの認識はまあ、そんなところでした。
やがて私は競技から離れ、陸上競技に対する関心も世間一般の人々と同様に薄れていったのですが、(当然ながら)日本の陸上界は地道に努力を積み重ねていたんですね。1990年代も半ばを過ぎる頃から(←このあたりの記憶はいい加減w)、世界的な大会で日本人スプリンターがそれなりの成果を残すようになり、世界選手権ではメダリストも誕生しました。そして今夜のこの結果。
強豪国がバトンパスにミスって早々に脱落したおかげだという声は当然あるでしょうが、リレーにおいてバトンパスは非常に重要な要素。多少ラフなパスでも個々の走者の能力で十分挽回可能というある種の驕りを、バトンパスの精度を上げるだけのために合宿までやってしまう日本チームの執念が打ち砕いたとも言えると思います。
また、タナボタのメダルという声も当然あるでしょう。でも、実際に棚からボタモチが降ってきた時に、それを手に入れることができる位置にいるというのも実力があればこそだと言えるのではないでしょうか(これは確か鈴木亜久里が言っていたと記憶しています)。
レース後のインタビューで、確か末續選手が今夜の結果はこれまで長年日本の陸上競技に携わってきた人々のおかげという内容の話をしていましたが、まさにその通りでしょう。
「日本人はスプリント競技に向いていない」
という、以前は常識とされてきた考えにねばり強く抗ってきたのですから。
もちろん、たかだか数年しか競技経験のない私が「長年陸上競技に携わってきた」なんていう積りはもちろんございません(笑)
…と、ここまでこんなつまらない文章を書くのに2時間ほどもかかってしまいました(苦笑)。嬉しさや感慨や懐かしさやほろ苦さや言い表しようのない感情がずーっとぐるぐるしていまして、まだ興奮が冷めやりません。まあ、たまにはこんなことがあってもいいかも。
※念のため、表題の80年というのはトラック競技のオリンピックメダリストとしては人見絹枝さん以来80年ぶり、男子のトラック種目としては初めてという意味でございます。
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